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| 10月18日 青少年の健全な育成に大情熱を傾けたい |
先日、公明党内に設置されました青少年健全育成等プロジェクト(座長=浜四津敏子代表代行)として少年鑑別所、少年院、少年刑務所の視察を行いました。まだあどけなさを残し、穏やかな表情の少年達を目の当たりにし、複雑な思いにかられました。「子どもは社会を映し出す鏡」とも言われますが、社会に巣くう病因の一端がここに反映されているのだとの思いを抱きました。
かつて巷に苦しむ子どもたちの悩みを見て、「心は狂せんばかり」と叫び、子どもたちに限りない慈愛を注いだ偉大な教育者がおりました。少年犯罪の低年齢化・凶悪化がにわかに目立ち、教育が重要な課題として位置づけられている昨今、私たち大人が、まさに「狂せんばかり」の大情熱を傾けて青少年の健全なる育成に取り組んでいかねばならない時であると決意しております。
視察の際、現場関係者からは、社会そのものの受け皿が整備されておらず、再び過ちを繰り返してしまう少年が少なくない現状等、さまざまな問題点が指摘され、少年非行の病巣やそれを看過している実情に問題」意識を新たにしました。
党プロジェクトとしても「青少年健全育成基本法」(仮称)の制定や「少年問題協議会」(仮称)の設置など、多角的に対応を検討していきますが、それとともに、子どもという鏡に映し出された「大人」社会」の問題も正していかねばなりません。
皆様方からも多くのご意見を頂きながら、日本の未来を担う青少年の育成に微力ながらお手伝いをしていきたいと思います。 |
| 8月16日 連立政権の中で「人間教育」の具現化を |
明治維新、戦後に次いで第三の改革ともいうべき教育改革が現在取り組まれています。過日、教育改革国民会議の審議報告が公表されましたが、抜本的な改革を目指した数々の具体的な提言がなされています。内容については、今後吟味を重ねていかねばなりませんが、教育の荒廃が叫ばれて久しい今日の現状を打開すべく国民的な期待が寄せられています。
ドイツの哲学者カントの「人間は教育によってのみ人間になることができる」との言葉が残されていますが、教育の使命の重要性をあますところなく語り尽くした至言であると思います。まさに「教育」は人間を創り、人間を育てる聖業であり、国家においても最重要で取り組まねばならない課題であります。
教育改革国民会議第一分科会審議報告の中に、「私たちは決して未来に絶望していない。道は厳しい。しかし厳しくなかった道はどこにもなかった。だから私たちは共通の祖国を持つあなた達に希望し続ける」と記されておりました。未来の人材への限りない可能性を信じ、育むこと―ここに教育の原点があり、教育政策の根本があるのだと思います。
私は現在、党文部科学部会長として、教育・科学技術政策に携わっております。教科書無償配布制度の実現など、公明党の先輩方が学ぶ側の目線に立って取り組んでこられた教育への思いを体して、連立政権の中で着実な「人間教育」への政策を具現化して参ります。 |
| 6月14日 具体的な治療法なく空理空論の民主・共産 |
昨日、21世紀の日本の舵取りを決する歴史的な衆議院総選挙の戦いが始まりました。解散以来、数千人の方々とお会いし、握手を交わす中、「公明党頑張れ」との心からの励ましに勇気を与えて頂き、「日本を何とかしてほしい」との切実な叫びに新たな決意をさせて頂きました。数え上げればきりがないほどの矛盾が噴出し、満身創痍ともいうべき今の日本に対し、根本的な治療が早急に求められています。その治療にあたる「医者」を選出することがこのたびの総選挙であります。
私たち公明党は、具体的な治療法(政策)を示し、本格的な手術にメスをふるおうとしています。一方、何の治療法も提示せず、あっちが悪い、こっちが悪いというだけで、空理空論を重ねているのが民主・共産をはじめとする野党であります。
公明党には、傷ついた日本を治癒するための治療法と名医がしっかりと存在していると自負しています。
政治は結果が全てであり、現実に何を為したのか。そしてそれが国民のための政治であるのか。この一点に全ての価値を置くことが本来の政治であると思っています。
国民の皆様に喜んで頂ける政治の実現は、自公保の連立政権による抜本的な手術の断行以外にありません。なかんずく、公明党こそが「国民のための」の政治を前進させていくことができます。
来る総選挙では、瞠目するような大勝利を勝ち取るべく、私も全力で走りぬいて参ります。皆様の最後までの力強い御支援を心よりお願い申し上げます。 |
| 4月12日 若い世代に光を当て輝く未来を築きたい |
「よくみてかんげき しらべてびっくり かがくっておもしろい」−これは科学技術庁が行った科学技術週間の標語公募で最優秀に選ばれた小学校3年生の作品です。端的かつあますところなく「科学」の醍醐味を伝えるとともに、すばらしい観察眼の標語であると私も感銘を受けた。
先日、科学技術庁において宇宙飛行士の毛利衛さんが同席をされて子供科学博士依頼状交付式が行われた。全国から選ばれた十人の小中学生が初の子供博士となり、科学技術への理解と関心を深めるため存分に活動して頂くこととなった。若き博士たちは大地が水を吸収するが如く、毛利さんの話を食い入るように聞きいっていた。小さな体に秘められた無限の可能性を垣間みる思いだった。
また、参議院の憲法調査会は20人の大学生を参考人として招き、憲法観についての意見を聴いた。護憲論、改憲論等様々な意見が出されたと聞いている。
今、日本には課題が山積し、未来をいかに構築していくかを模索している。故に、未来を託す若い世代にスポットを当て、その声を反映させていくことが極めて重要であると痛感している。国政の場に議席を頂いている私たちが全力で働いていくことは言うまでもないが、その糧を青少年の皆様の声から学び、吸収していかねばならない。幸いにも我が公明党青年党員の方々の旺盛な行動力、発言力には私たちも大いに触発を受けている。これからも若い方々とスクラムを組んで、日本の輝かしい未来を築いていきたい。 |
| 2月9日 作り話しで抑圧する江戸時代の構図今も |
江戸時代末期、当時の日本のシンクタンクとうもいうべき蘭学者グループ尚歯会が幕府高官によって、デッチ上げられた罪で弾圧をされた蛮社の獄。
尚歯会の一員であった田原藩士・渡辺崋山も無実の罪で獄中の人となった。しかし、もともとは作り上げられた事件である。奉行所における崋山の取り調べにおいても何ら不正は見つからず、取り調べにあたった奉行は「誰かに恨みでも受けたのではないか」と思わず口にしたという。まさに事件の本質を突いた言葉ではないだろうか。
日本の将来を真剣に憂いている集団に対し、初めに「尚歯会憎し」があり、弾圧の手段を講ずる。現代の日本にもこれと似たような構図が描かれている。
選挙が近づくたびに決まって繰り返される学会・公明批判。先の奉行の言葉を借りれば「誰かに恨みでも受けたのではないか」ともいうべきものかもしれない。しかし、それらの批判には論理的な思考も憂国の健全な精神も皆無である。「学会・公明憎し」−すべての出発点がここに存在する。
公明党は危機に直面した日本の政治のリーダーシップをとるべく、我が身を削る思いで政権に参加をし、数々の政策を打ち出してきた。しかし、曇った眼の人間からはすべてが恨み、憎しみに通じてしまうのだろう。
二十一世紀の日本の舵取りをどこにまかせるのか。真に国の将来を考えている集団はどこなのか。空虚な逆恨みなど一蹴し、真実を明確にする決戦の時は今秋までに行われる衆院選挙である。 |