| 平成16年5月20日 衆議院憲法調査会 統治機構のあり方に関する調査小委員会 |
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○斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫です。 辻山先生、きょうは本当にありがとうございました。早速質問に入らせていただきます。 国と地方の役割について、ナショナルミニマムの中でも最も大事なものの一つだと思うのですが、教育について、一つの具体的な例を挙げながら御質問させていただきたいと思うのです。 といいますのは、私は文部科学委員会、それから党の文部科学部会長をしておりまして、特に今、義務教育費国庫負担制度の存続の可否というのが非常に大きな問題になっておりますので、この問題についてちょっと、まず最初にお聞きさせていただきます。 このことについては、各党におきましても議論が真っ二つに分かれている。つまり、教育については、内容については地方のいろいろな特色、自由を生かすにしても、それを支える財政についてはあくまでもしっかりと国が責任を持つべきだ、これは憲法が保障するものであるという議論と、いや、教育も含めて、例えば義務教育費国庫負担のそのお金は一般財源化して地方に渡すべきだ、こういう議論がございます。私自身は前者の立場をとっております。 私はアメリカに三年住んだときに、あそこは徹底した地方分権が進んでいまして、いろいろな選挙をするときに一緒に投票して、例えば今度学校にこういう制度を設けたいから、こういう施設をつくりたいから税金をこれだけ上げたい、その住民投票という選挙をやっておりまして、豊かなタウンシップは本当にすばらしい学校制度ができていますが、一歩境界を越えて貧しい町に行くと、先生の給料は半分で本当に貧困な教育という現実になっております。 そういう意味で、教育という全体の中の一部の議論ですけれども、これについて先生のお考えをお聞かせ願えればと思います。 ○辻山参考人 大変きついところなんですけれども、どう考えたらいいでしょうか。 今お話がありましたように、アメリカの教育は大変分権的ですけれども、同時に大変格差が大きいという御指摘がありましたね。そのことを日本の国民が受け入れるかどうかという問題だというふうに感じているんです。 ですから、私は分権一括法のときにも、一度公述人で出たときにそのような意見を言ったと思うのですが、親たちの思いは、やはりほかの地域の人たちからおくれをとらないでちゃんと上の学校へ進めるような教育をしてほしい、こう考えているわけですね。その状態をどうやってつくり出すか、それを地方の負担によって生み出すということが、先ほどから申し上げているような意味でいいますと、大変難しい、そこがつらいところだなと感じています。 かといって、では基本である教員の経費の半額までを国庫に依存していいのかどうかと思っておりますけれども、先ほど言いました、半分はミニマムだよというふうに考えていくべきじゃないかというふうには思っております。 ○斉藤(鉄)小委員 大変我々も悩むところなんです。 例えば、学校図書費という項目がございまして、年間百三十億円ですか、学校図書を充実させるための予算ということで組んで、これはいわゆる交付税という形で渡すわけですけれども、交付税という形になりますと、計算をするときの一材料というだけになって、実際にお金が渡るときには、これが学校図書費ですという形では行きません。色のついていないお金で地方に行きます。 あるところで、学校図書館協議会が各地方自治体に、こういうことで予算がすべて自治体に行っていますけれども実際に学校図書費に使われていますかというアンケートをとったところ、ほとんど使われていなかったという現実がございました。 教育の大切さはわかって、教育を無視する首長さんがこれから出るわけがないと言いながら、実際経営者になってみると背に腹はかえられなくて、本来教育に行くべき予算がほかに回ってしまうという現実もあるということを考えると、ここは地方分権議論とはちょっと逆行するようになりますけれども、本来押さえるべきナショナルミニマムというのはしっかりと議論して、そこについては国がしっかり責任を持つという形にしておかないと、私も島根県の山奥の村の出身でして、きちんとした教育を受けさせていただいたと思っておりますが、まさにそういうナショナルミニマムを国がしっかり守っているということで私は育てられたという実感があるんですけれども、その点についていかがでしょうか。 ○辻山参考人 私がとても打たれた町長さんの話がございます。我々町村は、子供たちを教育して、やれ、やっと仕上がったわいと思ったら、都会へ持っていかれる、都会で働いてこの国のGDPを生み出していて、国税収入にも反映しているはずなんだ、だから私たちは子供たちの教育に金をかけっ放しになってしまうのか、その分はやはり交付税のような何らかの形で返してもらいたいという、交付税がそのような趣旨のものかどうかということは別にして、思いはやはりそうだろうという気がするんですね。 したがって、交付税の持っている調整機能が落ちていくということが、一方では、今もお話にありましたような、学校図書費で予定されているものをほかの経費に回さざるを得なくなるような情けないことにやはりなっていく。 そういう意味では、都市部に生まれて都市部で働く人がだんだんとふえていく中で、交付税制度を堅持しようという多くの声がなくなっていく状況の中で、もう一度原点に返って、交付税というような財政調整の根本的な意義を検討し直さなきゃいけないんじゃないかなという気はしております。 ○斉藤(鉄)小委員 最後に、先ほど玄葉委員のシティーマネジャーともちょっと相通ずるんですが、選挙と首長という関係なんです。 選挙は、統治機構に正当性を持たせるためにどこかの段階では必ず必要だと思っておりますが、いわゆる首長さんというのは、その正当性を持った統治機構の長であると同時に、経営者でなくてはならないという観点が非常に強いと私は見ていて感じます。ところが、経営者の能力と選挙の能力というのは全く別でして、その乖離に今の日本の不幸の一つがあるんではないかなというふうなことを強く感じておりますが、この点について、ちょっと変な質問ですけれども、いかがでしょうか。 ○辻山参考人 特に異論はございませんが、それを、制度としてこのようにしましょう、例えば、市町村長は議会において選ぶか、または議会がシティーマネジャーのような、統括支配人のようなものを選任するか、このいずれかにしましょうというような制度はやはりまずかろう、公選でやる道も選択肢として確実に残す必要がありそうだという気はしております。 ○斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。 |