| 平成16年4月15日 衆議院憲法調査会 【科学技術の進歩と憲法について自由討議】 |
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○斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。 真横から失礼いたします。 きょうは大変すばらしいお話、ありがとうございました。十五分与えられまして、五問ないし六問、質問させていただきたいと思っております。 まず最初に、命、それから、エシックスといいますと、やはり宗教的な土壌ということとも関係してまいります。先生は、アジア、ヨーロッパ、それからアメリカと、それぞれ宗教的バックグラウンドの違うところで研究してこられて、また暮らされてきて、この宗教的な土壌とバイオエシックスという観点から、何かお考えがあればお聞かせをいただければと思います。 ○木村参考人 これは大変に大きいテーマでございまして、できればあと二時間ぐらい話をしたいんですけれども、今の先生のお考えでいいますと、バイオエシックスという学門自体がどのように発生したのかという根幹にかかわる問題なんですね。これは、私は、シビルライツといいますか、人間の命の尊厳を求めて、つまり、それまでいわば医師、政策担当者、あるいは専門家に金縛りに遭って、身動きとれなかった一人一人の人間の命の尊厳を求めての叫び声の闘いの中から生まれてくるんですね、バイオエシックスというのは。 しかし、それの最初の担い手は、アメリカではシビルライツの運動を担った人々の中でも、特にキリスト教の神学者だったんですね。キリスト教の神学者が、これは御存じのように、例えば日本でもそうですけれども、病院にチャプレーンという形で入っております。これは病院つき牧師ということです。そういう方々が、患者さんの現実の問題に苦しんでいるありさまに直面して、そして、医療側と対話をすることの中で、つまり、神様によってこういう命に定められて、こういう遺伝病を持っているんじゃないか、しかし、これを治すことができるんじゃないか、本当のこと言ってくれないけれども、どうしたらいいんだろうかというような悩みを治すような形で、キリスト教の神学の素養の中で、何人かの方々が先端医科学技術の問題に集中しながら、バイオエシックスを展開させていったわけですね。 これは、ヨーロッパにおいても長い長い、これはもう、そもそもキリスト教が背景にあって、病院とかホスピスケアのシステムが中世からできてくるわけですので、ホスピスケアというのは、十字軍のケアをしたセンターがあったわけですけれども、ホスピタルとかホスピスという言葉自体がこれは歴史の古い言葉ですけれども、いわば宗教的なそういう背景があってバイオエシックスが出てきた。しかし、その中でセキュラーな、非宗教的なバイオエシックスに変わってくるわけですね。 バイオエシックスの問題については、タイではラタナクンという、大学の教授ですけれども、この教授が専門的に取り上げておりますし、それから、中国では邱仁宗という、儒教の精神に立ったバイオエシックスを展開していますし、いろいろな国々で医療の文化を踏まえながらバイオエシックスを非常にダイナミックに展開されている。 そういう点で、私は、カイロで開催されましたイスラム医学評議会のバイオエシックスの会議にも出まして、こういう会議で、コーランを読むところから始まったわけですけれども、そういう宗教的な、いわば人間のそれぞれの場所での極めて日常生活に密接にかかわりを持ったところから命の問題が展開されてきている。そこにシビルライツの問題とか人間の尊厳の問題とか人権の問題が入って重ね合わさってきているというところに、大きなバイオエシックスの、これは今までになかった新しい学問の体系として出てきたことになるわけです。 ○斉藤(鉄)委員 大変おもしろい議論で、もっとやりたいんですが、あと一点だけ。 いわゆるキリスト教、イスラム教的な一神教的なバックグラウンドと、それから、アジアは、自然と人間は一体というふうな、一神教では説明できないバックグラウンドがございますが、バイオエシックスまた命に対しての考え方で、やはり基本的な考え方に違いがあるというふうにお感じでしょうか。 ○木村参考人 先生の御指摘は大変に示唆的といいますか、例えば、キリスト教の基本的な原理は、一神教であるところのイエス・キリストの父なる神、創造者としての神をこれは念頭に置いて、旧約聖書その他から私たちはその信仰を受け継ぐわけですけれども、聖書の中には、神が人間をつくって、そしてその人間に、産めよ、ふえよ、地に満てよというふうに言ったんですが、ほかの動物その他を支配して神様の栄光のために使うということを許容している文言で理解されるわけですね、旧約聖書のところなんかは。 それが、つまり、人間至上主義、神様に一番近い人間、そういう物の考え方が、結果的には、人間が知識として得た科学技術を自由に使うことによって、つまり、神様の名によって環境や動物を破壊してきたんではないか。つまり、キリスト教が実は環境破壊の元祖じゃないかという、アメリカの有名な科学史家リン・ホワイト氏は「機械と神」というタイトルの本の中でそういうことを言っています。 これに対して、仏教ですね。これはアメリカで仏教をやっている人の考え方ですけれども、自然との調和、そしてまた、生きとし生けるもの、つまり、人間が特別にとうといというよりか、あらゆる生命あるものはとうとい、かたじけない恵みの中で私たちは仏様の光の中に照らされて生きているという考え方の方が命を考える場合にはいいんじゃないかということで、アメリカでも仏教に基づいたバイオエシックスをやっている人がいるんですね。 そう思って日本に来たら、何だか日本では非常に動物を虐待していて、例えば、牛にビールを飲ませて、それをバットでたたいておいしい神戸ビーフをつくっているとか、そう誤解される人もいろいろいたり、あるいは、海岸に来ているイルカを殺したりとかと、動物の権利を言っている人から見ると、何だ、この日本というのは仏教国であると思って来たのに生命を大事にしていないじゃないかというようなことを言われたこともございましたけれども、基本的に言うと、自然とそれから他の生命との調和といいますか、一緒に共存していく。 科学技術庁の最近の法律でも、こうやって社会と科学技術との調和、何かそういうハーモニアスな考え方があるのに対して、ヨーロッパには、支配していこう、コントロールしていこうという考え方がありまして、そこら辺でバイオエシックスの基本理念にもしかすれば大きな違いが出てくる可能性がある。今そういうことを考えていろいろな学問的な業績が上がってきているというところにあるわけです。 ○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。 次に、これは中山会長の最初の質問ともちょっとダブるのですけれども、現在、個の尊厳ということを憲法で規定されております。これは大事なことだと思いますが、しかし、この議論は、個の尊厳、そして個人の権利ばかりが強調されて、公共に対しての責任というふうなことが書かれていないのではないかというふうな議論になっているんです。その議論は議論として重要だと思うんですが、やはり、その議論のもう一つ上に、いわゆる生命の尊厳ということを憲法上もはっきりと明記すべきだと私自身は考えておりますけれども、この点について、先生のお考えをお聞かせいただければと思います。 ○木村参考人 まさに、その点につきましては、先ほど申し上げましたように、新しい時代の中での新しい憲法に、このような科学技術の推進を日本国としてこれは全面的にサポートする、知的財産権のことも含めまして、と同時に、それにさまざまな形での障害といいますか弊害が起こらないような形の命の尊厳ということをきちっと入れるべき時代に到達しているのではないか。 そうしないと、私が一番最初に申し上げましたように、非常に大きいスケールでの環境破壊、これは、枯れ葉剤を使った環境破壊が命の破壊、つまり、樹木の遺伝子も、そしてまた動物の遺伝子も、人間の遺伝子も、全部が破壊されて、そしてそれが三十年、四十年、五十年とつながっていくような現在の悲惨な状況。そしてまた、未来のジェネレーションということから考えますと、何としてでもこのような形でのいわば命の尊厳ということを基本的に踏まえた条項を入れる必要があるのではないかという点で、先生のお考えに全く賛成でございます。 ○斉藤(鉄)委員 次に、ちょっと個別具体的な話になってまいりますが、日本のクローン産生禁止法の考え方、先ほど、調和という考え方でできている一つの非常に特徴ある法律だというふうにおっしゃっていただきましたけれども、クローン個体の産生、これはもう厳然と罰則をもって禁止する。しかしながら、ES細胞、万能細胞等の、将来の人類にとって福音を与えるかもしれない技術についての研究については道を開く、ガイドラインをもって道を開くということだと思いますけれども、実際の研究の対象とするのが、いわゆる受精卵を研究の対象とするわけで、そのときに、どこから命なのかという議論がその委員会の審議の中でも出てまいりました。 そのときは、受精卵については、命ではないけれども生命の萌芽である、したがって、できる限りの考えられ得る最大限の敬意と尊重の念を持ってこれを研究対象として取り扱わなければならない、このような議論もされたところでございますが、受精卵を研究の対象として使うということ、そして、生命の萌芽として我々は受精卵に対して一つの位置づけを与えた、こういう議論についての先生の御見解をいただければ、このように思います。 ○木村参考人 この点は、宗教的な見解で、欧米諸国、特にカトリックの信仰者の方々からは極めて大きな異論のあるところなんですね。これは、生命は受精の瞬間に始まる、つまり、人間としての非常に重要な意味合いを持ったものとして、受精卵を使うということには全面反対ということで、米国大統領の生命倫理の諮問会議は、レオン・カスという、私の友人でもありますが、この方はユダヤ教の出身の方ですが、そういうことで、極めて否定的。したがって、連邦政府としては、現在ある細胞株を使うことは許容しましたが、新たに受精卵を使うことはやめる。 ドイツの場合には、これを輸入して使うということになっておりますが、基本的には、生命といいますか人間として、着床のところから大体一週間、二週間あたりをボーダーラインにしているという状況があるわけで、私が一九七二年にスイスでロバート・エドワーズ先生が体外受精の研究をしておりましたときにも、大変宗教的な立場の方々から大きな問題提起をされたわけです。 基本的には、やはり科学研究、特に、苦しんでいる人、悩んでいる人、病気の人、難病の人、そういう人を助けるための科学研究のシステムづくりというものを、インフォームド・コンセントを中心にして、例えば、今も倫理委員会その他でもって、研究についてはプロトコルを審査するという形にしておりますけれども、そういう形で、専門家が暴走しないような、オープンなディベートがなされるような環境の中で枠組みづくりをしていくという、つまり、プロシード・ウイズ・コーション、非常に注意深く、慎重に、少しずつでも進んでいくというようなあり方の方が、これは絶対だめというあり方よりは受け入れられる可能性が多いのではないかというふうに私自身は考えております。 ○斉藤(鉄)委員 最後でございますが、そのこととも関係しますが、パブリックポリシーということを先生おっしゃいました。一つの問題は私、今、専門技術者集団と対社会というふうな、何か対立関係が徐々に生まれてきているような感じがしないでもありません。そして、その間に介在するのがマスコミでもあるわけですけれども、この社会と専門技術者集団、もしくは研究者集団と言ってもいいかもしれません、それとマスコミ、この三者、済みません、非常に脈絡のない質問で申しわけないんですけれども、ある意味で、これからの社会を形成していく上で非常に重要だと思いますけれども、この点についての先生の御見解をお伺いできればと思います。 ○木村参考人 これも大変に重要な問題でございまして、マスメディアの果たす役割というのは先端医科学技術については極めて大きな影響力を持っております。 アメリカでは、御存じのように、一九三〇年代から、タスキギー・ケースといいまして、黒人の梅毒患者を、治療する群と治療しない群、そのグループをつくりまして、それを、アメリカ連邦政府の研究、実験の一環として、治療をしているという名のもとに、しかも、ペニシリンその他の薬剤があるのにそれをやらないままに、一種の生体、人体治療実験を続けてきたわけですね。 これがわかってくるのが七〇年代なんですね。七〇年代にこれがマスメディアの報道によって出てきて、そして、アメリカでは大変なことが起こっている、つまり、一般の人たちに情報を知らせないまま黒人を対象にした梅毒実験をやっていたということがわかった。梅毒実験をやっていたというのは、患者さんを治療する群と治療しないグループとに分けたということですけれども。治療しない場合にはどうなるかということを、要するに、バッドブラッドだから、非常に悪い血なんだからということで、普通の水みたいなのを飲ませて、そして亡くなった方の骨、細胞組織をとったりしてやっていたわけですけれども、これをマスメディアが、ワシントン・ポストがやはり大きく報道しまして、そしてアメリカで最初のナショナルコミッションというのができて、人体実験に関する基準ができてくるわけなんですね。 ですから、社会に警鐘を鳴らすという点でいうと、マスメディアがある程度報道することによって連邦政府が動いて、そして専門家が招集され、しかも一般の市民が中心になって委員会が形成されていくという形になってくるわけで、私は、そういう意味では、社会と専門家集団とをつなぐ非常に重要な役割をマスメディアは果たしてきたというふうに、特にバイオエシックスの分野では言えるというふうに思います。 ○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。 |