平成16年3月12日 衆議院文部科学委員会

○斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。きょうは、お二人の参考人、本当にありがとうございます。

 まず初めに、小野田参考人にお伺いさせていただきます。

 多くの方と教育についてお話をしましての私の一つの結論は、教師こそ教育環境という言葉になろうかと思います。教育、学校に対しての感謝の念も、最終的には先生への感謝の念、尊敬の念、また、自分の人生の恨みや教育に対しての恨みも、突き詰めていくと、先生に対しての恨みというところにすべての人が行き当たります。

 そういう面で、本当の教育の機会均等を言うのであれば、先生の、担任の当たり外れということもなくしてほしいという率直な皆さんの声を聞くところでございますけれども、この国庫負担制度と直接関係ないかもしれませんが、本当に頑張ってくださっている先生、みんなが感謝するような先生と、そうではない先生も現実にはいらっしゃる。そういう先生が、根底にはこの国庫負担制度があるのかもしれません、何ら評価がされないという今の教育制度の根底に、一つの大きな問題があるのではないかという声を聞きます。

 この声に対して、この声に対してといいましょうか、PTA協議会として、小野田さんとしてどのようにお考えになっているか、お伺いできればと思います。

○小野田参考人 まさにそのとおりで、もう本当に共感の至りでございます。

 確かに、義務教育の成否というのは、直接の指導者であるところの先生、教師のそういったところが非常に大きいものですから、最低限、やはり義務教育の水準を維持するためには、先生の資質を確保すること、これに尽きるということかと思います。

 ただ、現在、実は私もPTAはボランティアという形で、公認会計士というのが職業でございまして、確定申告が忙しいのでちょっと大変なんですけれども、それはおいておいて、我々専門家という立場では、例えば何か不祥事が一つ起きると、それを次に起こらないようにするためには、業界の中でいろいろ自浄的な作用が働いて、そういう努力をしていっております。それは私どもだけではなくて、弁護士さんでも医者の世界でも同じような形でそういう努力、いわゆる職業倫理的なものをきちんと考えながら、ステップアップさせながら、職業としての、社会に認知される職業として、やはり皆さんが頑張っているというところかと思います。

 そういう面につきまして、先生においても、これは私も希望という形の発言になってしまうかもしれませんけれども、採用されるとき、それからその後、採用されてから現場でのいろいろな研修ですとか、例えばほかと、民間との交流にしてもそうですけれども、最終的に教師というのは子供に信頼され、親に信頼されて初めて教師だというふうに、ちょっと偉そうなことかもしれませんけれども、そういうような認識でおります。

 したがいまして、やはり先生もプロとしての、教師、教えるプロとしてのプライドをもっともっと持って、言うことをしっかり言って、議論すべき人としっかりと議論をした上で、自信を持って教師ですというふうに言ってほしいと思っております。

 そういう面でも先生を応援したいことは事実でございますけれども、おっしゃるようにいろいろな先生がいらっしゃるものですから、どうしてもそちらの方ばかりに光が当たってしまうものですから、ほかの一生懸命やっている先生には非常につらい思いをさせているのかなというのもあります。ただ、それもやはり先生の集団としてやっていかなければいけない使命かと思いますので、その辺もしっかりとPTAとしてサポートできることはサポートして、やはり言わなければいけないことはどんどん言って、そういういい関係を、議論できる関係をつくっていきたいというふうに考えております。

○斉藤(鉄)委員 もう一問、小野田参考人に、その件に関して、評価する制度をつくって待遇に差をつけるというふうな考え方もあるんですが、この点についてはどのようにお考えでしょうか。

○小野田参考人 あくまで私見という形でお答えさせていただきます。

 私は、やはり最終的にはそういうことは必要だというふうに考えております。では、それをいかに、どの物差しがいいかというのは、なかなか一概に、教育というものは形として目に見えないものが成果でございますので、これができたから、これは幾らで売ろうとかそういうことではないと思いますので、では、この先生は幾らの価値があるということは一概に言えるものでもないし、やはりもっともっと上を目指していこう、そういう気持ちを持っていただくのは大事かと思います。

 やはり何らかの形で自己研さんを積んでいただきたい、それが評価なのかどうかわかりませんけれども、評価されてもいいような、職業として、教師としての立場を貫いてほしい、そういう気持ちでおります。

○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。

 次に、市川参考人にお伺いします。

 市川先生は、まさにこの分野の日本の碩学でございますが、この義務教育費国庫負担制度をいわゆる法的な側面から見た場合、つまり憲法があり、教育基本法があり、そしてこの義務教育費国庫負担制度がある、その法的な枠組みの中から見たときに、どのように解釈されるのかということを教えていただければと思います。

○市川参考人 御案内のように、日本国憲法では、教育の機会均等と義務教育の無償について規定されているわけでございますが、これを受けまして、教育基本法で、義務教育を九年にするということと、国公立の義務教育学校では授業料を徴収しないという規定をしているわけでございます。

 ただ、義務教育費国庫負担法が大変重要だと思いますのは、地域による教育機会の不均等をなくすことを目的としている点でございます。教育の基本原則は教育基本法にうたわれているはずでありますが、教育の機会均等を定めております第三条には、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または門地によって差別されてはならないと書いてありまして、不思議なことに、地域による教育機会の差別についての禁止規定が欠けているわけでございます。

 それで、私は、中央教育審議会で教育基本法問題を審議しましたときに、この教育基本法ができたころには、確かに門地というものがありました。今の若い人は、門地なんという言葉は全く知りません。ただ、この教育基本法が審議されたころは、国会ではありませんで帝国議会、帝国議会で、貴族院の議長は徳川公爵、当時の議員さんはみんな伯爵とか男爵とかいう肩書を持っておられたわけで、明らかに門地というものが厳然としてあったわけでございますが、今日、門地なんというのはございません。そういったものよりも、一番大きなのは、経済的な地位と並んで、地域的な、どこに住んでいるかということによって教育機会が大きく違うと思うのでございますが、なぜか、教育基本法にいろいろな差別禁止規定が並んでいるんですが、地域による差別だけがないんですね。

 それですから、やはり地域による差別をなくすということが非常に大事でございまして、義務教育費国庫負担法によってこれが相当程度実現しているわけでございますが、なお、都道府県間に、一学級当たりの支出額で一・五倍程度の差がございます。地方交付税や義務教育費国庫負担法がありませんでした戦前は、この格差がもっとひどくて、例えば昭和三年度は、在籍小学校児童一人当たりの教育支出には、府県によって四倍の差がありました。これは今日では一・五倍であります。

 四倍も差があったということは、決して低い府県が努力しなかったかということじゃないわけでございまして、主に府県間の富の格差に起因しているわけでございます。当時、富の水準を示すとみなされていたのは直接国税調整済み額でございますが、これを児童一人当たりにしてみますと、府県間で実に四十七倍の差がございました。それで、当時は義務教育費は主に市町村が負担していたものですから、市町村の財政力の格差によって財政負担に大きな不均衡があったわけでございます。

 これは昭和七年度の数字でございますが、市町村経常費に占める小学校経常費の割合が二五%以下の町村が五十五、市が十ありました。その反面で、教育費の支出が市町村支出の七五%以上という町村も四十四もあった、このように甚だしい格差というものが存在したわけでございます。

 もし、義務教育費国庫負担制度が廃止され、地方交付税総額が大幅に圧縮されることになれば、そうした戦前に似たような状況が生まれかねません。四倍もの支出格差があれば、義務教育費の機会均等にとっても、名目だけになります。よく、衆議院、参議院の選挙区につきましても、二倍以内なら仕方ないけれども、四倍、五倍というのはおかしいという考え方がありますけれども、実に一人当たりの教育費が府県間で四倍の差、市町村で計算すればもっとこんなものじゃないわけでございますけれども、府県で計算しても四倍の差になるという。

 こういったことが復活してまいりますと、教育機会の均等といっても、これは法律上の言葉だけのことになりまして、実質を伴わないことになるわけでございます。そういう意味からも、やはり義務教育費国庫負担制度の維持、さらには充実ということが大事じゃないかと思います。

○斉藤(鉄)委員 市川参考人にもう一問。

 明治の初期は義務教育も有償だったということで、ある意味では、無償の義務教育、そして、この義務教育費国庫負担制度というのは歴史的にかち取ってきたものではないかというふうに認識をしておりますが、歴史的に見てこの制度がどういうふうに位置づけられるのかということを、あと三分しかないんですけれども、端的に教えていただければと思います。

○市川参考人 義務教育費国庫負担の歴史というものは非常に長いわけでございまして、この運動が始まったのは明治十年代のことでございます。それで、長い間、国立学校運動というのが教育界を中心に展開されまして、その結果、明治二十九年になりまして、ようやく教職員に対する年功加俸、年功加俸というのは、長年勤めた場合に給料が上がるということであります。

 当時は、比較的給料が固定されておりまして、これは市町村によって違いますけれども、経験を積んでもなかなか給料が上がらなかった、そういう時代でございましたので、まず、この年功加俸の分を国庫が負担しようということから始まってきたわけでありまして、その後、議員立法となりまして、国庫補助が次第に拡充されまして、大正七年に実質的な半額国庫負担というものが実現するわけでございます。

 それで、御案内のように、昭和十五年に、現在と全く同じ名前の義務教育費国庫負担法が成立しまして、それが戦後の地方財政改革におきまして一たん廃止されて一般財源化されたわけでございますが、三年間の実施だけで、やはり地方自治体間の格差が大きくなったということで、再び二十七年に現在の法律ができて、二十八年度から実施されておるわけでございます。

 この義務教育費を国庫で補助する、負担する制度というのは非常に有効に作用したわけでございまして、その結果、明治から大正、昭和の初めにかけまして、我が国の教育費というのは、国民所得水準に比べまして極めて高いものがあったわけでございまして、国際的に公教育の支出水準と国民の所得水準とを相関させた研究などを見ますと、スウェーデンと日本だけが際立って所得水準の割合に教育支出が高いということが言われてきたわけでございます。

 しかし、日本が教育に大変熱心にやってきたのは戦後の一九五〇年代まででございまして、六〇年代になりますと、ほかの先進諸国もみんな教育にお金をかけるようになりましたので、日本が特に傑出した存在でなくなり、七〇年代以降は、日本はむしろ下位グループに、例えばOECDの諸国と比べてみますと、日本は、国民所得水準は高い割合に余り政府が教育にお金をかけていない、そういう下位のグループになってしまったわけでございます。

 ですから、戦前の日本というのは、非常に貧しかったわけでございますけれども、教育にはお金をかけている。それで、今日の日本は、豊かではありますけれども、教育にお金をかけない。

 私が子供のころには、我々の町で一番大きな建物というのは小学校でした。ところが、現在では、市役所や町役場、村役場というのは驚くほど立派な建物がそびえ立っておりまして、昔のように小学校が一番大きな建物ではなくなりました。それから、民間でも、駐車場つきのショッピングモールみたいなのがたくさんできておりますように、財政も、国民の生活も、戦前よりずっと豊かになってきたわけでございますが、遺憾ながら、豊かになった割合には教育にお金をかけなくなった、つまり、よく言われます米百俵の精神が失われたわけでございます。

 財政が苦しいということは一つの考慮すべき理由ではございますけれども、戦前の我が国はもっと財政が苦しかった、その中から、世界各国が驚くような割合で教育費にお金をかけてきたということを改めて我々は反省すべきじゃないか、こう思います。

○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。終わります。