【衆議院文部科学委員会 平成13年6月12日】


○斉藤(鉄)委員
 公明党の斉藤鉄夫でございます。
 きょうは五人の参考人の方、本当に貴重な御意見ありがとうございました。早速質問させていただきます。
 最初に、田村参考人にお伺いいたします。
 先ほどの意見の中にも、今回の三法案は非常に拙速でかつ大きなビジョンがない、つまみ食い的だということでございましたけれども、教育改革国民会議での議論に参加された方として、この教育改革国民会議の議論との関係も含めて、どのようにそのような批判を見られているかをお伺いいたします。

○田村参考人 関連三法案の内容でございますけれども、この法案の内容はこれでいいのだろうというふうに率直に思っております。
 実は、国会で御審議いただきたいことは、教育振興基本計画を樹立していただきたいということが私などは一番強く思っていることであります。振興基本計画をつくらないで、教育について大きなビジョンがないとかつまみ食いだというような御批判をいただいてしまいますと、これはちょっと私どもの感じでいうと、やっていただくことがまだやっていないのにという率直な感じがいたします。基本計画がきちっとできていない時点で改正していくといえば、この三つの法案を改正するという対応のところぐらいから始めないといかぬのだろうなというふうに思います。
 大きなビジョンということでいえば、振興基本計画をつくるべきだと私は思っております。例えば、OECD諸国の中で対GDP比で教育費に使っている比率が一番低い国が日本なのですね。非常に低いわけです。びっくりするぐらい低いわけです。それは、私に言わせると、どうも基本計画をつくらないで、その場その場でやってきた結果ではないかという感じがしているのですけれども。ですから、大きなビジョンということであれば、その議論をぜひしていただきたいというふうに思います。現状では、それがない以上は、今ある三法案の改正というところぐらいから手をつける以外にないだろうというふうに思っております。
 よろしゅうございましょうか。お答えになりましたでしょうか。

○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。
 それでは、ちょっと中身に入らせていただきますが、教師の評価ということについて、田村参考人と松村参考人にお伺いをしたいと思います。
 私どももこの一月から全国十二都市で「教育対話」というのを繰り広げてまいりまして、一回が三十人、四十人の中学生、高校生、また二十代の人、また若いお父さん、お母さんと議論をしてきたのですが、その議論がやはり一番盛り上がりますのが、学校の先生に対しての議論のときでございました。本当に自分が感動して、自分の生涯を決めたのも先生、またこの社会に対して本当に失望して、絶望した、そのきっかけをつくったのも先生ということで、よきにつけあしきにつけ、教師こそ教育のほとんどを占める環境だということを、私どもその「教育対話」を通じて痛感をした次第でございます。
 そういう意味で、子供たちも非常に厳しい目で先生方を、教師を見ている。そういうことからすれば、やはり評価というのは避けて通れないかと思いますが、先ほど、田村参考人は、難しいけれどもやらなければならない、このような御発言がございました。松村参考人は、今のこの法案で考えられているような評価、これは教育現場に大変な混乱をもたらすのではないか、このようなお話もございました。しかし、確かにこの評価というのは難しいけれども、やらなくてはいけないと私自身思っておりますが、その点につきまして御意見をお伺いさせていただければと思います。

○田村参考人 先生方の評価という問題でございますが、今御指摘いただきましたように、今の時代というのは、特に日本は最近そういう傾向が非常に強くなってきておりますが、アカウンタビリティーを求める、説明責任を求めるという社会の動きがございます。一説には消費税を始めてからそうなったというのですけれども、税金を払うようになって、それがどう使われるのかということが身近になってきたものですから、そういう形に出てくる。
 教育という分野も税金が使われておりますので、当然、社会の有限な資源、つまり人、物、金を教育という分野で専有するという、責任があるわけですね。ですから、それを使った以上はきちっと社会に説明する責任がある。そういう見方、アカウンタビリティーの見方で考えれば、教員の評価というのは必然的にその中の一つの条件だ、これは逃げられないのだというふうに考えなきゃいけないと思います。もしこれをやらないと、税金を払わないという運動につながりかねない。諸外国の例を見ていますと、そういう運動が現実に起きていますから、これはもう教育の現場にいる人間としては覚悟せざるを得ない。
 そこで、教育での評価というのは実は非常に難しいのです。私も現場におりますのでよくわかるのですが、例えば教育で大切なことは、表に立って、項目について格好よくやるということだけでもないのですね。一人でやれないことですから、何人かで組でやりますから、裏に回って支持する、支える、陰の人というのは絶対に必要なんです。ところが、簡単な評価をしますと、表に出た人だけが評価されてしまう。そうすると、先生方はみんな白けてしまうのですね。だから、陰に回った人をどう評価するか、この問題が常につきまとうわけです。だから評価できないんだというのは、これはちょっと責任を放棄していると言われてもしようがないと思います。
 その辺の議論をずっと詰めて、教育改革国民会議ではその辺をかなり真剣に議論したわけです。あれを読んでいただくとおわかりになるのですが、会議の言い方は、とてもよくやる人は表彰しようじゃないの、それを言っているだけなんですね。それが評価になるということになるのかもしれません。でも、とてもよくやるというのは、みんながわかるわけですから、それは表彰しようよと。
 それからもう一つ、人間というのは、いなきゃ困る人と、いてもいなくてもいい人というのが普通の人なんですけれども、いると困るという人もいるのですね。それはやはりちょっと考えなきゃいけないだろう。それがいわゆる分限とか転職という問題として書かれているわけです。その考え方が今回、法律に書かれていた分限の手続を明記するという形になっただけなんですね。
 私は、これは当然のことで、ぜひやっていただかないと、教育の社会は、ほかの国民というか、日本の国のほかの人たちから、責任を持っている集団と思われなくなるのじゃないかという気がします。難しいからやらないというわけにはいかないという意味は、そういう意味でございます。この法案に書かれている程度のことは最低限ぜひやっていただきたいというのが今の感じでございます。

○松村参考人 教員の評価についてお答えいたします。
 私は、学校教育というのは、言うまでもなく、子供の学力を初めとした人間的な成長、発達を保障するところですから、そういった観点で、教職員が本当に教育力量を身につけて、子供の成長、発達を促す上で大きな力になり得る教員評価、教育評価は基本的にあり得る問題だというふうに考えています。
 ただ、先ほど来お話しになっているように、教育の評価の物差しというのは、一人一人の個性が大変違うということ、それから教育の効果というのは一朝一夕ではなくて、一年たち、二年たち、また数年たって、あるいはもっとたって、それが大きな力となるということだってあり得るわけですから、それをわずか一年間の中で、しかも、教職員の自主性や、あるいはまた公開あるいは開示、そういうこともないまま、例えば東京都における人事考課の導入は、いまだに今日に至ってもいろいろな形で教育現場で矛盾や問題を引き起こしているように思うのです。
 とりわけ私は、今、民間の企業は総人件費抑制のもとで、結局、能力、情意、適性の三つの点から評価をして、その点から人事考課査定で上位の者は賃金を上げるという、その評価基準と東京における基準はまさにうり二つなんですよ。一体どこに子供と教育の条理があるのか。
 それを私は、民間企業でも、それぞれ働く者が協力、共同して、ともに仕事をして技術を伝えるというようなことがなかなか、富士通などの見直しの例をとっても明らかですし、今大きな問題が出ているものを、あえて人間形成にかかわる教育現場で導入することが、本来の教育効果を向上させ、教職員の力量を身につけるための評価とは違った危険性やリスクを伴っている。
 最後に申しますが、教師が本当に頑張るのは、子供が人間として学力を身につけ豊かに成長することが最大の喜びであって、その中に金銭や力やあるいは物が介在することは、教育における最も大切な子供と教師の人間関係を必ずゆがめるということをぜひ政治の場でも御理解いただきたいというふうに私は思っているところです。
 以上です。

○斉藤(鉄)委員 最後の質問になるかと思いますが、池本、杉原、森田、三人の参考人の方にお伺いいたします。
 申しわけありません、時間がないので端的にお答え願いたいのですが、実は、私は広島に住んでおります。広島では公立教育の崩壊ということが言われておりまして、現実問題として、公立と私立の格差が今どんどん広がっております。そういう中で、公立教育をもう一度復権させようという強い思いも、私自身三人の娘を公立小中で育てましたけれども、そういう強い思いを我々父兄は持っているわけでございますが、今回、そういう観点からすれば、この教育三法、公立の復権に少しはプラスになるのではないかと率直に思っております。
 公立教育を、公立小学校・中学校をどう復権させるかということについての御意見を、三人の参考人の方からお伺いできればと思います。

○池本参考人 公立学校の問題点の一つは、非常に地縁的であるところの障害というのがありますね。選択肢が少ないということでやられているわけでありますけれども、私は、限られた地域の中に選択肢の多い学校ということができると思っています。
 それから、コミュニティーとかよく言われますけれども、我々は、これから先の地域で活動するというのは、むしろコミュニティーというよりもアソシエーションというか、人々の関心や興味でつながったネットワーク、そうだと思うのです。私立学校というのはまさにアソシエーション、興味、関心で学校ができている。公立学校が地縁的なものになっている。
 地縁というのは、私立でも公立でも本当は必要なわけです。今回の事件でもわかるように、地域の学校は大変につながっていなければいけないというのがわかったわけだと思うのですね。だから、公立についてはある程度地域的な場というものは外さない。その上で選択肢の多いものとか、あるいは保護者とか地域の人と一緒に学校を創造するというか、生産者だ、ある中から選ぶということじゃなくて、単なる消費者じゃなくて、我々が学校をつくっていく、そういう教育の共同生産者であるという視点を持ってやればいいのではないかというふうに思っております。

○杉原参考人 実は、私も広島の出身でございまして、広島の教育については常々関心は持っておりますが、広島の教育は日本全国の教育の十年先を常に行っているという、とにかく学校が荒れるのも広島の場合は大抵十年早いのですね。とにかく十年先の荒廃。今度は、公立高校を一生懸命しようという動きが、本気で動くんであれば、またそれももしかすると十年先で、いい方向の十年。ですけれども、戦後全体を見たときには、常に悪い方向で十年先を行っていたように私は思っております。
 公立につきましては、私は特に具体的な意見を申し上げることはできませんけれども、やはり地方の責任というものをもう少しやるべきですね。やはり中央の制度にべったりするから、教育が建前に巻き込まれて力を失っていくんだというふうに思います。

○森田参考人 私は、親たちの立場からいえば、本当に地域の公立学校こそ回復してほしいというふうに思っております。
 それは、今の公立学校が、ある意味でいうと、一律であることを公立学校というふうに呼んできたわけですが、私はむしろ、地域性を大切にしながら、一人一人の子供たちの家庭環境や、あるいは子供たちの持っている力に合わせた教育がスタートラインから保障されていく、まさにそれを私立学校の中でいえば均質化集団の中で一律の教育が行えるわけですが、公立学校の場合の特徴としては、一人一人の個性に合わせられる、その一人一人の個性に合わせた教育が地域の学校で保障されていくならば、親たちは安心して子供たちを地域の学校に出せるんじゃないかというふうに思っております。
 そういった意味で、ぜひ、教職にある方たちに、あるいはその親たち、子供たちの意見をその中に入れながら、そうした学校をつくっていってほしいというふうに願っております。

○斉藤(鉄)委員
 ありがとうございました。