【衆議院憲法調査会 平成13年10月11日】
○中山会長 日本国憲法に関する件について調査を進めます。
本日は、先般、ロシア等欧州各国及びイスラエル憲法調査議員団を派遣いたしましたが、議員団の調査の内容について、団長を務めました私から御報告を申し上げたいと思います。
去る八月二十八日から九月七日まで、私どもは、これまで共産圏の国と位置づけられていたロシア及びハンガリーその他の東欧諸国を含めた五カ国、オランダ及びスペインを初めとする王室制度を有する五カ国、並びにイスラエルの合計十一カ国の憲法事情について調査をいたしてまいりました。
この調査の正式な報告書は議長に対して提出することになっておりまして、現在鋭意作成中でありますが、私ども調査議員団は本調査会のメンバーをもって構成されたものでありますので、この際、その調査の概要につきまして口頭で御報告をし、これからの調査の参考に供したいと存じます。
この憲法調査議員団は、私を団長に、会長代理の鹿野道彦君を副団長といたしまして、葉梨信行君、保岡興治君、仙谷由人君、斉藤鉄夫君、山口富男君、金子哲夫君及び近藤基彦君の九名をもって構成されました。なお、この議員団には、事務局及び国立国会図書館の職員のほか、二名の記者団が同行いたしました。
私ども一行は、八月二十九日午前、最初の訪問地であるロシアのモスクワにおいて、日本の衆議院に当たる国家院で三つの会談を行いました。まず、ザドルノフ議員ら四人の国家院議員と、次にルキン国家院副議長と、そして憲法に関する諸問題を扱う国家建設委員会のルキャノフ委員長との会談であります。いずれの会談でも、一九三六年のいわゆるスターリン憲法の制定、その後約四十回に及ぶ憲法改正、一九七七年の憲法制定等々といったソ連邦の憲法史の中でも、一九九一年のソ連邦崩壊後に全面的に改正された一九九三年のロシア憲法は特筆すべきものであり、新しいロシアをつくっていくものであるとの認識のもとに、さまざまな意見が述べられました。
まず、ザドルノフ議員らとの会談においては、この新しいロシア憲法の国民への浸透の実態のほか、家族の憲法上の位置づけに象徴される個人と社会との関係などが、また、ルキン副議長との会談では、新憲法の規定する強力な大統領中心主義のもとでの政府と議会との関係、特に大統領の大臣任命権に対する議会のコントロールのあり方の問題などが、さらに、ルキャノフ委員長との会談では、核家族化する中での家族・個人と社会・共同体との関係や、変転する社会の中にあっても維持すべき伝統の重要性のほか、スーパーパワーを有し、立法、行政、司法を超えた第四権力とも称されるロシア大統領の強大な権限に対して、議会がいかにチェック機能を果たすべきかといった問題などがテーマとして取り上げられました。
個人的に特に印象に残ったのは、ルキャノフ委員長の次のような発言でございました。
憲法は、かたい文章、決まった形の文章でできているけれども、我々を取り巻く社会情勢は、グローバリゼーションやインターネットの進展等に象徴されるように急速に変化している。この変化に対応するためには、我がロシアや多くの東欧諸国のように、全く新しい憲法をつくるという方法もあるし、また、漸進的に新しい憲法をつくり上げていくという方法もある。いずれにしても、世界の変化に合わせて新しい憲法をつくっていく必要がある、と述べられました。
また、ロシア、日本ともに、元来伝統を重視する国柄である。特に日本は、象徴である天皇陛下が存在される一方、国民から選ばれた国会も活発な活動をしている非常にユニークな国である。その日本に憲法調査会が設置され、順調に、ゆっくりと調査をしながら、新しい憲法に関する検討を進めていることは全く正しいことだと思う、と述べられたことでありました。
午後に入ってからは、法務省のエブドキーモフ第一法務次官ら七人の政府高官及び憲法裁判所附属憲法裁判分析センターのストラシュン副所長との会談を行いました。
法務省での会談では、一九九一年のソ連邦崩壊から一九九三年の新憲法制定までの経緯や、新憲法下での外国人参政権の取り扱い、ロシアにおける司法改革の現状など専門的、実務的問題などが話題となり、また、憲法裁判分析センターでの会談では、ロシア憲法裁判所の審理の実態、裁判官の任命システムと政治性の問題などをめぐって意見交換がなされました。この中では、憲法裁判所の設置以来この十年間に三千件を超える訴訟が提起されていることや、ロシア市民から欧州人権裁判所への提訴件数が二千件に上っていることなどについても説明を受けましたが、私には、これらはロシアにおける人権問題への関心の高まりを示す一つの証左であるように思われました。
翌三十日は、ハンガリーのブダペストに立ち寄り、日本国大使公邸において、ハンガリー、ポーランド、チェコ、ルーマニアの東欧四カ国の憲法に関して、それぞれの大使館から招致した書記官より、ソ連邦崩壊後の一連の民主的改革に伴う新憲法の制定、改正の経緯やその特徴などについて説明を聴取した後、質疑応答をいたしました。
各国憲法の制定、改正経緯や特徴を簡単に報告すれば、まず、ハンガリー憲法の制定、改正経緯については、早急な体制転換を行うため新憲法を起草する時間的余裕がなく、三十七回に及ぶ改正を経ている旧人民共和国憲法の改正という形式がとられたため、その後も新憲法制定の動きがあったこと。また、その特徴としては、国会が国権及び民意の最高機関という規定がある一方で、国民投票の制度も設けられていること。実際、NATO加盟時にはこの国民投票の制度が用いられ、国民のコンセンサス形成が図られたこと。
次に、ポーランド憲法の制定、改正経緯については、一九八九年の体制転換直後の時期においては、ワレサ大統領と旧統一労働者党政府の共存という状況から新憲法の制定が困難であったため、旧憲法の改正という形式がとられ、その後たびたびの改正によって漸次旧憲法時代の色彩が払拭されていったが、現在のクワシニエフスキ大統領の登場によって新憲法制定の機運が一気に高まり、一九九七年に至って、国民投票を経て新憲法が制定されたこと。また、その特徴としては、前文においてポーランドのカトリックの伝統等に言及していること。
また、チェコ憲法の制定経緯については、当初スロバキアとの連邦制維持を前提に制定作業が進められたが、結局、両国は分離することとなったこと。また、その特徴としては、主に統治機構について定めるチェコ共和国憲法以外に、権利保障について定める自由及び基本権憲章と、憲法と同価値を有する憲法律が国の組織、活動や国民の権利について規定しているなど、法形式を異にする三つの構成要素をもって憲法秩序が構成されていること。
最後に、一九九一年制定のルーマニア憲法の制定経緯については、チャウシェスク政権崩壊後の体制を共和制とするか君主制とするかの議論があったこと。また、その特徴としては、政治的プルーラリズム、多元主義や少数民族の権利保護の重視などが挙げられております、といった説明を受けました。
また、以上のほかに説明の中で個人的に印象に残ったのは、多くの国々で、専制防止と人権保障のための専門機関として、憲法裁判所あるいはこれに類似する機関が設けられていることでした。
本調査会においては、昨年五月に、最高裁判所事務総局の担当局長を招致して、戦後の主な違憲判決について調査をいたしておりますが、質疑の冒頭、私が調査会を代表して行った質疑、すなわち、いわゆる統治行為論等を理由に裁判所が憲法判断をしてこなかったことを指摘した上で、その理由について問いただしました質疑に対して、千葉行政局長は、「最高裁の判決では、直接国家統治の基本に当たるような高度に政治性のある国家行為、こういうものにつきましては裁判所の審査権の外にある、そして、その判断はやはり主権者である国民に対して政治的責任を負うところの政府や国会、最終的には国民の政治判断にゆだねられているものと解すべきである、こういう判断をいたしました。」と答弁しております。
基本的に多数で行う国会の憲法解釈と、独立した憲法裁判所による憲法解釈の役割分担はいかにあるべきかといったことも含めながら、これまでの我が国の憲法解釈権の実質的な所在などについて思いをめぐらすとき、示唆的なものがあるように思われました。
ブダペストでのヒアリング終了後の同日夜、直ちにオランダのアムステルダムに向かい、翌三十一日は、ハーグにおいてオランダの憲法事情及び王室制度を有する近隣各国の憲法事情について調査を行いました。
午前中は、まず、アルテス上院議長を表敬訪問し、オランダにおける上院と下院の関係、第二次世界大戦時のドイツ占領下におけるオランダ憲法の法的状態などをテーマに懇談いたしました。
この懇談の中では、ドイツ占領下においては、女王初めオランダ政府はロンドンに亡命したため、オランダ憲法は実際上効力を失った。
したがって、当時のロンドン亡命政府の行動に対して議会のコントロールが機能し得なかったという観点から、戦後、ロンドン亡命政府の行ったすべての行為に関する調査がなされた。戦争といった緊急時の行為ではあっても、また、たとえ事後的にではあっても、政府の行為の憲法適合性をチェックすることは重要だ、といった興味深い話を伺うことができました。
引き続いて、内閣の女王官房府のロディウス長官と会談し、ナポレオン失脚後から現在に至るまでのオランダ王制の変遷について詳細な説明を聴取した後、現在の女王の政府における地位と役割の実態などをテーマに懇談いたしました。
さらに、午後に入って、内務省の憲法問題王国関係局を訪ねて、ピータース局長代理と会談し、オランダ憲法の三つの特徴と言われる君主制、民主制、地方分権のそれぞれについて概括的な説明を聴取した後、議会における立法手続や女王の役割、地方の自主財源その他地方分権の問題等について質疑応答をいたしました。
引き続いて、日本国大使館において、スウェーデン、デンマーク、ベルギーといった王室制度を有する近隣各国の憲法について、ハンガリーの場合と同様、それぞれの大使館から招致した書記官等から、国王の権限と地位その他憲法における王室制度の位置づけとその運用実態などについて説明を聴取いたしました。
これらの調査の中で、個人的に特に印象に残ったのは、オランダ王制の歴史に関する説明でありました。すなわち、そもそも共和国であったオランダが、十九世紀初頭のナポレオン戦争後に、国民の総意として王制を選択したこと。その後も、国王みずからのイニシアチブによってその権限をより一層制限するなど、立憲君主国として王権が憲法で厳格に規定されてきたこと。このように、国王や女王自身が、歴史の変化に対して柔軟に対応し、また、美術や芸術の庇護者としての役割も果たしてきたことなどを背景にして、オランダ国民は、システムとしての王制を支持しているという以上に王室に対して敬愛の情を抱いてきたこと。そうであったからこそ、他の諸国が王制を廃止する中で、王制が存続し続けたのである、といった説明です。
また、デンマークでの地方分権の動きも個人的には印象に残った説明の一つでした。デンマークでは、一八四九年、憲法に既に地方分権の導入が規定されていたとのことで、これが一九六〇年代から本格化し、地方分権の達成度合いは世界的にも高いレベルになっていること。すなわち、基礎的自治体である市は、水道、ガス、幼稚園、初等教育等を、広域自治体としての県は、病院、国民健康保険、幹線道路、高等学校等を、そして国は、警察、外交、防衛等を主要業務とするなど、国民生活に密接なところは地方に行わせることを基本としている点、そして、このような事務配分を支えるため、国税のかなりの部分が使途を定めず、いわゆるひもつきではない形で地方に交付されております。具体的な数字を挙げますれば、税収ベースでは国対地方が六四対三六であるのに対して、予算配分上は三七対六三になっておりますことなども、地方分権推進が重要な課題となっている我が国の現状とあわせて考えるとき、大いに興味を抱いたところであります。
翌九月一日は、アムステルダムからイスラエルのエルサレムに向かいました。去る九月十一日の米国での同時多発テロの発生前ではありましたが、空港等では、相次ぐ自爆テロ等に対して厳重な警戒がなされておりました。しかし、会談自体は極めて平穏かつ和やかな雰囲気の中で行われました。
このイスラエルにおいては、最近まで導入されていた首相公選制が今回の調査の主要目的の一つであることもあって、その導入及び廃止の経緯等に関して、二日間にわたって合計八人の政府要人及び専門家と会談するなどして、詳細な調査をしてまいりました。
まず、初日の九月二日には、ショフマン検事次長、シトリート司法大臣、我が国の国会に当たるクネセットの基本法委員会のショハム法律顧問及びピネス基本法委員長と会談いたしました。二日目の九月三日には、ペレス外務大臣のほか、首相公選制廃止論者であるカルモン博士やテルアビブ大学のセガル教授といった学識経験者と会談をした後、イスラエル日本友好議員連盟のアレンス会長との懇談も行いました。
これらの会談及び懇談を通じて私自身痛感したことは、一言で言えば、首相公選制の導入は、国会との関係、天皇制との関係など統治機構に関する広範な論点について慎重な検討を要する問題であり、単なる思いつきなどであってはいけないということであります。
すなわち、お会いしたほとんどの方々が異口同音に、イスラエルでは、元来政権安定のために導入したはずの首相公選制によって逆に小党乱立を許すことになってしまい、そのねらいは全く外れてしまったこと。今重要なことは、議院内閣制のもとでの選挙制度の改革、例えば、足切り率を一・五%から三%にアップするとか、選挙区制度を導入することなどによってこの小党乱立状況をまず解消することが重要だということでございました。そして、イスラエルと日本とでは、憲法制度も選挙制度も、また、政治、社会、文化の状況も異なるが、我々イスラエルの失敗を生かして、より慎重な検討をなさることをアドバイスとして贈りたいとも言っておられました。
なお、この首相公選制導入あるいは廃止の際に行われたキャンペーン運動には、国外のユダヤ人たちからの資金援助が大きく寄与しているといった説明も受けましたが、我が国の政治資金の規制のあり方と比較するとき、イスラエル独立以来存在するユダヤ人社会のつながりという特殊性が見てとれるような感じがいたしました。
また、これらの会談では、シトリート司法大臣やペレス外務大臣といった政治家と国家観や政治信念について意見交換をすることもできました。個人的に特に印象に残っているのは、シトリート司法大臣の次のような趣旨の発言です。
オスロ合意が議会にかけられたとき、私は、平和のために、所属する政党リクードの党議に造反してオスロ合意に賛成した。そのほかにも私はいろいろ党に反対してきたが、まだ政治家として生き残っている。過去の遺産にしがみついたり、流れに身を任せるだけではなくて、政治家としては、そのような流れに抗しても生き残る道はある。私の場合は、常に支持者、国民とともにあること、これによって生き残ってきたと言える、といった趣旨の発言でありました。
また、ペレス外務大臣の、次の一連の発言にも強烈な印象を受けました。
世論調査は香水のようなもので、よい香りはするが飲むことはできない。これに引かれる人は多いが、その取り扱いには注意が必要だ。飲んだりするとおなかを壊すことすらある。とか、私は長く政治の世界に身を置き、どの政治家よりも多くの批判も受けてきた。その中で得た教訓は、このマスメディアの発達したテレビ時代にあっても、あなたのイメージではなく、あなたの人柄こそが最も大切だということ
だ。私はこれまでに多くの間違いをしてきたが、それにもかかわらずこの国で最も人気のある政治家の一人でいられるのは、私の見ばえがよいからでも、私が穏健になったからでもなく、私が国のために働いてきたからだ。そして、こういう姿勢を多くの国民が認識してくれているからである、といった発言でございました。
また、今後の世界情勢に関する見通しを問うた私の質問に対する回答として述べられた次の発言も、心に刻むに値するものでありました。
中東やアジアの和平など今後の世界情勢については、私は基本的に楽観的である。第二次世界大戦直後の時点でだれかが、近い将来、新しいヨーロッパや日本が誕生すると言ったとしたら笑われたに違いないが、現実にはそうなった。しかし、そうなったのは決して政治によってではなく、むしろ経済によってである。ジャン・モネが考えたEU統合は、ナポレオンが考えたよりもより大きな変化をヨーロッパにもたらしたと言われることがあるが、まさにそのとおりだ、といった発言や、これまでは土地と資源を求めて戦争が行われてきたが、もはやそんなもののために争う必要はない。これからは、ハイテク産業のような新しい知識を求めて、開かれた空間の中で行う競争が重要になっていくだろう。中東地域はいまだに過去のものにこだわっているが、しかし、もはやそのような考えは捨てるべきだ。我々は、年齢は変えられないが、考え方は変えることができるのだ、といった発言でした。
翌四日は、エルサレムからスペインのマドリッドに向かいました。
そして翌五日には、まず午前中に、政府の諮問機関として法律の合憲性の審査等に関与している国務院において、カベロ議長ら四人の高官と、また午後には、マリスカル下院憲法委員会委員長ら七人の議員らとそれぞれ会談をいたしました。
カベロ国務院議長らとの会談では、一九七八年の現行スペイン憲法の概略について、フランコ政権崩壊後の議会君主制採用の経緯や、新しい権利を含んだ権利規定の充実ぶり、自治州制度の問題点などを中心に説明を聴取した後、質疑応答をいたしました。また、マリスカル下院憲法委員会委員長らとの会談においては、現行憲法の制定経緯について、各政党の立場からそれぞれの意見を聴取した後、質疑応答をいたしました。
この会談では、憲法委員会第一書記官を務められているジャネー議員の、スペイン憲法が安定した憲法となったベースには、その制定過程でさまざまな政党が協議し、その合意を基礎にしたということがある。憲法のような国の基本法は、一つの政党がつくるのではなくて、さまざまな政党の協議により、議会全体としての合意を形成していく中でつくられなければならないとの発言が、個人的には極めて強い印象に残りました。
また、スペインの王制に関しては、フランコ政権崩壊後の現行憲法の制定過程において、フランコ総統の後継者に指名されていたファン・カルロス国王自身が改革の擁護者として、政党の自由化等の民主化のため決定的役割を果たしたとの説明も、私には印象に残った発言でした。
すなわち、一九八一年のフランコ体制維持派のクーデターの際には、民主主義を擁護する姿勢を断固として示される一方、その後、中道右派から社会主義政党への政権交代の際には、立憲君主としての御自分の立場をわきまえて、政治に干渉することなく着実に任務をこなされるといった姿勢によって国民の人望を集めている。実際、各種のアンケートにおいても、議会等よりも王室に対する信頼、評価が極めて高いということであります。
以上のような極めて多忙な日程ではございましたが、無事これを消化し、私ども議員団は、去る九月七日、帰国いたしました。
ごく短期間の調査でありましたし、また、各訪問国における調査事項が極めて多岐な問題に及びましたので、ここで結論めいたことを申し上げることは到底不可能なことではありますが、しかし、一言だけ個人的な所感を申し上げるとすれば、共和制にしろ王制にしろ、また大統領制にしろ議院内閣制・首相公選制にしろ、決定的に重要なことは、憲法に関する論議の素材が国民に対して十分に提示され、王制すら国民が選択する、すなわち、国の基本的なあり方は最終的に国民が判断するということ、そして、そのような国民の判断にとって決定的に重要なのは、権威の象徴である国王についても、また権力の中心である大統領、首相といった政治のリーダーシップをとる者についても、国民からの信頼、信任がその基礎になければならないということであります。
また、EUへの主権委譲の問題と関連して、EU憲法の可能性についてもさまざまな議論があり、国民国家の枠組み自体が大きく揺らいでいることについても再確認いたしました。
今回訪問した諸国と我が国とを対比しながら、これらの点に思いをいたすとき、我が国の皇室は千年以上の歴史を持ち、国民の信頼を集めていること、また政治に関与されず、象徴天皇としての役割を見事に果たしておられることに、改めて敬愛の念を抱いた次第であります。
また、本調査会においては、二十一世紀の日本のあるべき姿について、党派を超えて、かつ、現在生じている諸問題への具体的な対処方針をも踏まえて、徹底した調査をしていく中で、国民にあるべき姿を提示し、そのことによって国民の信頼を獲得していくことが求められているのではないか、改めてそのように考える次第でございます。
この調査の詳細をまとめた調査報告書は、議長に提出し次第、委員各位のお手元に配付いたす所存でございますので、本調査会の今後の議論の参考に供していただければ幸いと存じます。
昨年、委員各位のお手元に配付いたしました海外調査報告書で御報告いたしました、ドイツ、フィンランド、スイス、イタリア、フランスの欧州五カ国と合わせると、イスラエルを含めて欧州各国を中心に合計十六カ国の憲法事情を調査いたしたことになりますが、いずれの国においても、憲法のありようが国のありように直結して国民的な論議がなされていることを、私自身、改めて認識させられた次第であります。
最後に、今回の調査に当たり種々の御協力をいただきました各位に心から感謝を申し上げますとともに、充実した調査日程を消化することができましたことに心から御礼を申し上げたいと思います。まことにありがとうございました。
以上、簡単ではありますが、このたびの海外調査の概要を御報告させていただきました。
引き続きまして、派遣議員から海外派遣報告に関連しての発言を認めます。
(中略)
○斉藤(鉄)委員 先ほど中山会長の方から包括的な御報告がございました。私は、個別具体的に、特に感じたことを二点、もし時間があれば三点、ここで感想を申し述べさせていただきたいと思います。
まず、先ほども仙谷委員がおっしゃいましたが、イスラエルの首相公選制でございます。
選挙の役割といいますのは、民意の集約と民意の反映、ある意味ではこの相反する二つの機能を行うのが選挙でございますけれども、首相公選制と比例代表選挙というのは、民意の反映そして民意の集約を行う意味で理想的な形ではないかという考えを持って、このイスラエルに私は行ったところでございます。
ところが、八人の方全員が、首相公選制は失敗だったと。中には、首相公選制は政党政治の死を意味するとまで発言される方がいらっしゃいました。
その理由は、先ほど仙谷委員がおっしゃったような理由からでございますが、私一つ気になりましたのは、いわゆる制度の設計が本当によかったのか。非常に足切り率の悪い全国一区の比例代表選挙と首相公選制、かつ、そのクネセット、国会に首相の不信任権限も与えている。このような制度設計で首相公選制を行えば、ある意味で、今回イスラエルが失敗したようなふぐあいが当然予想されるわけでございまして、その制度設計の十分な検証を行わずして首相公選制は失敗だったと言い切るのは、少し早計ではないかということを感じました。
しかし、先ほど中山会長がおっしゃいましたように、この首相公選制、統治機構と根本的に結びついた大きな問題だということを改めて痛感した次第でございます。
二点目は、オランダで、女王官房府のロディウス長官と本当に長時間議論をすることができました。その中で私が特に感じましたのは、王室と学術、文化芸術政策の結びつきでございます。
文化芸術振興については、今、各政党で振興基本法をつくろうという動きがこの日本でも起きてきておりますけれども、学術、これは科学技術も入ります、文化芸術というのは、本来、人間の自由な精神の発露でございます。
片一方で、この近代社会においては、学術や文化芸術を公的なところが支援する、支援しなければ生き残っていけないということもまた事実でございます。
一方で自由な精神の発露、しかし一方で権力がそれをサポートしなければ存続し得ない、ある意味では相反する事象なわけでございますけれども、これを解決する論理を与えたのが、実は、一九四六年のイギリスの芸術評議会、その議長だったケインズでございまして、国民の自由な精神を保障するために、その発露である文化芸術について国が支援をすると、非常に回り持った論理でございました。
今回、オランダでその役割を王室が担当されている、全部ではありませんけれども、非常にその関与が深い。つまり、王制という制度を使って、直接国家権力がその自由な精神の発露である学術、文化芸術についてサポートをするのではなく、非常にやわらかい形で、直接の支援ではなくてサポートをしている。そういう体制を大変深く感銘を覚えてきた次第でございます。日本の皇室制度も非常にうまく機能しているというふうに感じてまいりましたけれども、このような観点で日本でも議論をされたらどうかということを感じました。
あとちょっと時間がありますので、率直な感想ですが、各国の憲法、本当に国民の議論のもとに改正が何度も行われているということを改めて痛感をしてまいりました。そういう意味で、この憲法調査会での憲法論議が、二十一世紀の日本のあるべき姿について本当に重要だなということを感じて帰ってきた次第でございます。
以上でございます。